「ダムの鹿島」「鉄道の鹿島」。鹿島建設は昔ながらの呼び名で語られるスーパーゼネコンです。180年の歴史のなかで、鹿島は時代ごとに「洋館」「鉄道」「ダム」「超高層」と看板を掛け替えてきました。これらの呼び名は、鹿島建設の歩みのなかで育ってきたものです。
ただ、業界のダム分野の売上ランキング(日経クロステック調査)を見ると、鹿島は近年首位ではありません。首位は年度によって大林組や前田建設工業が入れ替わっています。
それでも「ダムの鹿島」と呼ばれ続けるのはなぜでしょうか。1909年に始まった水力発電所工事から続く水力・ダム分野の歩みと、1949年にゼネコンとして初めて設立された独立した技術研究所。この2つが、原子力・ダム・研究所の3つの強みを支えてきました。
鹿島の得意分野は3本柱——原子力・ダム・技術研究所
鹿島建設の得意分野は、一般に「原子力施設・ダム・超高層ビル」の3つで語られることが多い分野です。
この記事では、土木・技術の面での3本柱として「原子力・ダム・技術研究所(KaTRI)」の3つを中心に取り上げます。超高層ビル分野については、霞が関ビルの歴史で解説しています。
3分野に共通するのは、大規模なコンクリート施工、地盤・掘削・材料管理、自社の研究開発の3つです。これらの技術は、1909年に始まる水力発電・ダム分野の仕事の中で蓄積され、1949年に設立された技術研究所が3分野をまたいで研究・改良してきました。
原子力施設——ダムで培った技術が生きる分野
鹿島が原子力施設で強みを発揮するのは、ダムで長年積み上げてきた土木技術がそのまま生きる分野だからです。
1956年——原子力室開設からの出発
鹿島の原子力事業は、1956年に社内へ原子力室を開設したときから始まりました。商業用原子力発電への本格的な取組みは、東京電力福島第一原子力発電所1号機の建設が起点です。
鹿島は自社史で1966年の建設着手を出発点と位置づけており、東京電力の公式では発電所の着工年を1967年としています。
原子炉建屋には大規模なコンクリート施工と、放射線を遮る厚い遮蔽壁の構築が求められます。鹿島がダム施工で積み上げてきたコンクリート技術と材料管理、そして掘削・基礎処理の腕が、そのまま原子力建屋に生きました。
東日本の原子炉建屋——鹿島が担当したのは全国何基か
鹿島の実績を数字で押さえると、2010年時点で全国20ヵ所計61基の原子力発電所のうち38基を鹿島が施工しています。
具体的には、東京電力の福島第一・福島第二・柏崎刈羽、東北電力の女川・東通、中部電力の浜岡の各原子力発電所などです。特に東日本の建屋施工で厚い実績を積んでいます。
ただしこの数値は東日本大震災前の時点で、その後の廃炉・建設中止で状況は変わっています。「独占」ではなく「複数のゼネコンが役割分担するなかで、鹿島は特に東日本の建屋施工で厚い実績を積んできた」と捉えるほうが実態に近い表現です。
ダム——「ダムの鹿島」の由来と150以上の実績
「ダムの鹿島」と呼ばれる由来は、明治42年(1909年)にさかのぼります。
1909年、水力発電所の工事からの出発
明治42年(1909年)6月、鹿島は宇治川電気から、水力発電所の隧道(トンネル)および開渠(水を通す水路)の工事を受注しました。この工事が、鹿島にとってダム・発電所事業への進出の第一歩です。
第一期のトンネル・水路工事で築いた信用が、第二期の大峯ダム受注につながりました。
1924年、大峯ダム——「ダムの鹿島」のはじめの一歩
大正13年(1924年)3月、大峯ダムが竣工しました。鹿島公式(鹿島の軌跡第51回)では「日本初のコンクリート高堰堤ダム」と表現しており、鹿島の別資料では用途を限定した「日本初の発電用コンクリート高堰堤」の記述もあります。
神戸市の布引五本松堰堤(1900年完成)が水道用の重力式コンクリートダムとして先行しますが、発電用の高堰堤ダムとしては大峯ダムが最初期にあたる位置づけです。
同じ第51回では、石井穎一郎の講演での「鹿島組が日本で近代的なダムを一番初めにやった」という評価も引用されています。
この大峯ダムをきっかけに、鹿島は「ダムの鹿島」と呼ばれるようになりました。
累積150以上——鹿島が手がけた代表的なダム
鹿島がこれまで携わったダムは、全国各地で大小150以上に上ります。
代表的なダムには、日本初の大規模アーチ式ダムとされる上椎葉ダム(1955年・宮崎県)、堤高157メートルで重力式コンクリートダムでは現在も日本一の奥只見ダム(1960年・新潟県と福島県)、宮ヶ瀬ダム(2000年・神奈川県)、小石原川ダム(2020年・福岡県)などがあります。
技術研究所(KaTRI)——1949年、ゼネコン初の独立した技術研究所
鹿島の得意分野を語るとき、外せないのが鹿島技術研究所(KaTRI)です。
1949年4月、ゼネコン初の技術研究所として誕生
昭和24年(1949年)4月、鹿島は自社の技術研究所として鹿島技術研究所(KaTRI)を設立しました。KaTRI公式沿革には「これがゼネコン初の技術研究所誕生となった」と明記されています。
設立当時は東京都中央区の永代橋ぎわに置かれ、初代所長は当時の社長・鹿島守之助が兼任しました。
守之助が技術研究所の設立を決めた経緯や、経営判断としての意味合いについては、鹿島守之助の生涯で詳しく解説しています。
3分野をまとめて支える研究所
KaTRIは1956年に東京都調布市飛田給へ移転して以降、水産研究室の葉山移転(1984年・現在の葉山水域環境実験場)、西調布実験場(1984年)、シンガポールの海外オフィス「KaTRIS」(2013年・ゼネコン初)、西湘実験フィールド(2017年・小田原市)と拠点を段階的に増やし、2019年に設立70周年を迎えました。
主要な研究分野は、土質・コンクリート・土木構造・建築材料・構造・環境工学・防災・海洋水理などです。
ダム施工にはコンクリート技術と材料管理、原子力建屋には大規模なコンクリート施工と遮蔽・地盤処理、超高層ビルには免震・制震・耐震と構造解析が求められます。これら3分野の技術を、KaTRIが組織としてまとめて支えています。
鹿島の得意分野が単発の受注ではなく積み重ねの上に成り立っているのは、1949年以降のKaTRIの研究開発があるからです。
よくある質問
Q1: 鹿島建設は日本一のダム施工実績を持っていますか?
業界の完成工事高ランキング(日経クロステック)では、鹿島は近年首位ではありません。2023年度のダム分野の首位は前田建設工業が9年ぶりに獲得し、2021年度は大林組が首位でした。
ただし、鹿島は累計150以上のダム施工実績を持ち、1924年の大峯ダム以来「ダムの鹿島」と呼ばれる歴史のなかでの位置づけがあります。
Q2: 原子力施設施工は鹿島の独占分野ですか?
独占ではありません。原子力発電所の建設は、複数のゼネコンが役割分担して進めるのが実際です。
ただし2010年時点で、全国20ヵ所計61基の原子力発電所のうち38基を鹿島が施工しており、東日本の建屋施工で厚い実績を積んできました。
Q3: 鹿島以外のゼネコンにも技術研究所はありますか?
現在は大手ゼネコン各社が自社の技術研究所を持っています。設計部内の研究組織は他社にも先例がありますが、独立した技術研究所を1949年に鹿島が設けたときが「ゼネコン初」でした。設立を決めたのは4代目社長・鹿島守之助です。
まとめ——大きな現場と自社研究所が育てた3つの強み
鹿島建設の得意分野は、原子力・ダム・(超高層ビル)を並べただけでは説明しきれません。
1909年に始まる水力発電・ダム分野の歩みと、1949年設立のゼネコン初の技術研究所(KaTRI)が3分野をまとめて支える土台があってこそ、現在の強みが成り立っています。
「首位」「独占」という言葉ではなく、昔ながらの呼び名・累積実績・担当現場の3つで捉えると、鹿島の強みの実態が浮かび上がります。
原子力・ダム・技術研究所は、鹿島建設の180年余りの歩みの中で育てられた3つの柱です。

