「スーパーゼネコン5社」のうち、竹中工務店は上場していない唯一の会社です。
竹中工務店の創業は1610年で、江戸幕府が開かれてわずか7年後にあたります。織田信長の家臣だった竹中藤兵衛正高が尾張で大工を始めたのが、同社の始まりです。この家業が代々受け継がれ、令和の今もスーパーゼネコンとして続いています。
竹中工務店は、5社のなかで最も古い会社です。本体は建築工事を主力にしており、他の4社とは大きく異なる歩みを続けてきました。
では、なぜ竹中工務店だけが上場しないのでしょうか。この記事では、同社の400年の歴史とあわせて、業界人として押さえておきたい非上場の理由を整理していきます。
竹中工務店とは——スーパーゼネコン唯一の非上場・建築専業
竹中工務店は、いわゆる「スーパーゼネコン」5社の一角で、5社とは、鹿島建設・大成建設・清水建設・大林組・竹中工務店を指します。
この中でも竹中工務店には、他の4社にはない3つの特徴があります。
特徴1:5社の中でもっとも古い1610年創業
創業は1610年(慶長15年)で、鹿島(1840年)や清水(1804年)と比べても、194年以上前になります。
特徴2:5社で唯一の非上場企業
他の4社が東証プライムに上場しているのに対し、竹中工務店だけが株式を公開していません。
特徴3:本体は建築工事を主力にしている
他の4社は建築と土木の両方を1社で担っていますが、竹中工務店では土木を主にグループ会社の竹中土木が担当し、本体は建築工事を主力にしています(会社概要では建築工事・土木工事の両方が事業内容として記載されています)。
会社の規模
規模は決して小さくありません。2025年12月期の連結売上高は1兆6,147億円、純利益は1,030億円(前期比83.4%増)となっています。
決算期が12月というのも、他の4社(3月期)と異なる特徴です。連結従業員数は14,006人(このほか臨時従業員が年間平均2,291人)で、本店は大阪市中央区にあります。
経営体制——2013年以降、創業家外の社長が3代続く
社長は、2026年3月26日に就任した丁野成人(ちょうの・しげと)氏です。1960年生まれで、大阪大学大学院工学研究科(建築)を1985年に修了して竹中工務店に入社し、大阪本店長・執行役員などを経て社長に就任しました。前任の佐々木正人氏は代表権のある会長へ移っています。
ここで押さえておきたいのは、竹中工務店は2013年以降、創業家外から3代連続で社長を出しているという点です(宮下正裕→佐々木正人→丁野成人)。「非上場=一族経営」というイメージを持たれがちですが、経営トップに関しては13年間、創業家の外から人を出し続けています。
400年の物語——織田信長の家臣から始まった日本最古のスーパーゼネコン
ここからは、竹中工務店の400年を、大きな転換点となった4つの時期に分けて紹介します。
創業と社寺建築期(1610〜1898)——宮大工の家業と洋風建築の萌芽
竹中工務店の始まりは、1610年(慶長15年)に初代・竹中藤兵衛正高が尾張国名古屋で創業したところにあります。
藤兵衛正高はもともと織田信長の普請奉行(建設工事の担当官)を務めていた人物で、信長の死後に宮大工へ転じたと伝わっています。宮大工とは、寺社仏閣を専門とする木造建築の職人集団のことです。以来、神社仏閣を建てる仕事を家業として、代々受け継がれていきました。
この職人技を代々受け継いできた家系だからこそ、竹中工務店には今でも「作品」を大切にする文化が残っています。これが、後で触れる「作品主義」の源流にあたります。
明治に入ってからは、社寺の仕事を続けながら洋風建築にも着手しました。公式年表には1874年(明治7年)に名古屋鎮台兵舎を竣工したとの記載があります。
工務店設立と近代化(1899〜1936)——神戸進出から株式会社化前夜まで
竹中工務店が近代企業へと大きく舵を切ったのは、明治期です。1899年(明治32年)、14代・竹中藤右衛門が神戸に進出し、宮大工の家業から近代建築業へと本格的に転じました。
面白いのは、竹中工務店が公式にこの1899年の神戸進出を「創立第1年」と位置付けている点です。1610年は「創業」、1899年は「創立」で、竹中工務店は誕生日を2つ持つ会社になっています。1999年に竹中工務店が祝った「創立100周年」も、神戸進出から数えた100年です。
1909年(明治42年)には合名会社竹中工務店を設立し、神戸を本店、名古屋を支店としました。このときに「竹中工務店」の商号を採用しています。
株式会社化と看板建築の時代(1937〜1998)——東京タワー・東京ドームの連続
1937年(昭和12年)、株式会社竹中工務店を設立し、翌1938年に合名会社を吸収合併して、現在の会社形態に整えました。
戦後の高度成長期には、看板になる建築物を次々と手がけていきます。1958年に東京タワーを完成させ、1964年には東京五輪の柔道会場となった日本武道館を建てました。そして1988年には東京ドームを完成させています。日本で初めての空気膜構造による多目的スタジアムです。
1992年には日本品質管理賞(2012年に「デミング賞大賞」に改称)を受賞しています。品質管理の分野で最高の賞にあたります。
現代(1999〜)——創立100年と創業家外の社長3代
1999年に竹中工務店は創立100周年を迎え、2007年に東京ミッドタウン、2014年にあべのハルカス(開業時に日本一の高さとなった300m)を完成させています。
この間、経営体制も大きく動きました。2013年、宮下正裕氏が社長に就任し、創業家以外の人物が初めて竹中工務店の社長になりました。以後、2019年に佐々木正人氏、そして2026年3月に丁野成人氏へと、創業家外の社長が3代続いています。
非上場を続けながら、社長は結果として創業家外が3代続く。これがここ10年ちょっとで形作られた竹中工務店の姿です。
なぜ竹中工務店は上場しないのか——「作品」を50年・100年先で考える
竹中工務店が非上場を続ける理由は、50年・100年先を見据えた建築を残すために、短期の業績ばかりを追わず、長期の視点を大切にしたい、というものです。同社が採用ページで、非上場についてこう公式に説明しています。
竹中工務店は、自社の建築を「商品」ではなく「作品」と呼んでいます。経営理念にも「最良の作品を世に遺し、社会に貢献する」と掲げているとおり、一つひとつの建築物を数十年から100年先まで残る社会資産として扱う姿勢です。
宮大工の家系から始まった会社らしい時間感覚と言えますし、社是にも「正道を履み、信義を重んじ堅実なるべし」という一文があります。
「非上場=経営情報が不透明」ではない
なお、竹中工務店は非上場ですが、金融商品取引法第24条第1項に基づいて有価証券報告書を毎年提出しています。
「非上場」と聞くと経営情報がブラックボックスに感じるかもしれませんが、実際には有価証券報告書で大株主上位10者や持株比率も開示されており、TAKプロパティ(約44.7%)、アサヒプロパティズ(約24.0%)、竹中工務店持株会(約12.7%)といった上位株主の顔ぶれが公開されています(第88期・2025年12月期時点)。
竹中工務店の代表建築物——建築専業ゼネコンの看板作
竹中工務店が手がけた代表的な建築物を、時代順に3件紹介します。
| 建築物 | 竣工年 | 施主 | 施工体制 | 一言解説 |
|---|---|---|---|---|
| 東京タワー | 1958年12月 | 日本電波塔(株)(現・株式会社TOKYO TOWER) | 竹中工務店 単独施工 | 高さ333m、当時世界一の自立式鉄塔 |
| 東京ドーム(BIG EGG) | 1988年3月 | 竣工時:株式会社後楽園スタヂアム(現・株式会社東京ドーム、1990年9月商号変更) | 竹中工務店 単独施工/設計者は日建設計と竹中工務店(公式作品ページの記載) | 日本初の空気膜構造による多目的スタジアム |
| あべのハルカス | 2014年3月 | 竣工時:旧・近畿日本鉄道/現在:近鉄不動産(2015年4月移管) | 竹中工務店・奥村組・大林組・大日本土木・銭高組の5社JV/設計は竹中工務店 | 高さ300m、開業時(2014年)に日本一となった超高層ビル |
東京タワー(1958年)
東京タワーは1958年12月に竣工しました。建築主は当時の日本電波塔株式会社(現・株式会社TOKYO TOWER)で、この会社は大阪の新聞王と呼ばれた前田久吉が設立しています。
設計は「塔博士」の異名を持つ内藤多仲(早稲田大学名誉教授)が設計指導を、日建設計が実務を担当しました。施工は竹中工務店が単独で担当し、1957年6月の着工からわずか1年半で完成させています。
高さは333mで、地上253mの自立鉄塔部(鉄骨量3,600トン)と、頂部の80mアンテナ支持塔という構造です。完成当時は、自立鉄塔として世界一の高さでした。
東京ドーム(1988年)
東京ドームは1988年3月に開場した、日本で初めての空気膜構造による多目的スタジアムです。空気膜構造とは、ドーム内部の気圧を外気より高く保ち、屋根を風船のようにふくらませる方式を指します。
竹中工務店の公式作品ページでは、設計者として日建設計と竹中工務店が記載されており、施工は竹中工務店が単独で行いました。愛称は「BIG EGG(ビッグエッグ)」です。
あべのハルカス(2014年)
あべのハルカスは2014年3月に開業した、大阪・天王寺にある高さ300mの超高層ビルです。開業した2014年から2023年までの約9年間、日本一の高さを誇りました。現在は東京の麻布台ヒルズ森JPタワー(325.4m)に次ぐ第2位ですが、大阪府内・関西では現在も最も高い超高層ビルです。
地下5階・地上60階建てで、延床面積は約30万㎡あります。近鉄百貨店、オフィス、ホテル、美術館、展望台が集まる複合施設です。
竣工時の建築主は旧・近畿日本鉄道株式会社で、2015年4月、近鉄グループの持株会社化により担当は近鉄不動産株式会社へ移りました。
設計は竹中工務店(外装デザインは竹中工務店とペリ・クラーク・ペリアーキテクツの共同)が担当し、施工は竹中工務店・奥村組・大林組・大日本土木・銭高組の5社共同企業体(JV)で行われました。
まとめ——業界人として知っておきたい竹中工務店の話
400年の物語をこの1本にまとめると、押さえておきたいのは以下の3点です。
その1.スーパーゼネコン5社中もっとも古い
竹中工務店の創業は1610年で、江戸幕府が開かれてまだ7年しか経っていない時期です。鹿島(1840年)や清水(1804年)よりずっと古く、5社の中でもっとも古い歴史があります。
創業者は織田信長の元家臣・竹中藤兵衛正高で、信長の家来だった人物が始めた会社が令和の今もスーパーゼネコンとして続いています。
その2.5社中で唯一の非上場・本体は建築専業
他の4社は東証プライムに上場していますが、竹中工務店だけは非上場を続けています。しかも本体は建築工事を主力にし、土木は主にグループ会社の竹中土木が担う体制です。
竹中工務店が採用ページで語る非上場の理屈は、50年・100年先を見据えた建築を残すために、短期の業績ばかりを追わず長期の視点を大切にしたい、というものです。宮大工の家系から始まった会社らしい時間感覚で組み立てられています。
その3.社長は2013年以降、創業家外から3代連続
現社長の丁野成人氏は、2026年3月26日に就任したばかりです。高知県の出身で、大阪大学大学院で建築を学び、竹中工務店に入社した現場出身のトップです。
竹中工務店は2013年以降、創業家外から3代連続で社長を出しているという、老舗にしてはむしろ現代的な人事を続けています。非上場を続けながら、社長は結果として創業家外が3代続く。この組み合わせが、現代の竹中工務店の姿になります。
この3つを覚えておけば、竹中工務店の話は業界の会合で困ることはないはずです。

