スーパーゼネコン5社のうち、社名に創業家の姓を残していないのは大成建設だけです。
鹿島・大林・清水・竹中——4社の社名はいずれも創業家の姓に由来しますが、大成の社名の由来は、創業者・大倉喜八郎の戒名「大成院殿禮本超邁鶴翁大居士」。
戦後の経営民主化で創業家の資本支配から独立した経緯が、大成の150年の骨格をつくっています。
この記事では、業界人として押さえておきたい大成建設の150年を整理しました。
大成建設とは——5社中唯一、社名に創業家の姓を残さない会社
大成建設(たいせいけんせつ)は、いわゆる「スーパーゼネコン」5社の一角です。5社とは、鹿島建設・大成建設・清水建設・大林組・竹中工務店を指します。
この中で大成が異色なのは、1949年に社員株主制度を実現し、非同族会社となった点です。創業家によらない経営体制を築いてきたことは、大成建設を特徴づける要素のひとつといえます。
業界内では「非同族経営」「サラリーマン経営」の会社と評されることもあり、スーパーゼネコン5社の中でも独特のガバナンスを持ちます。詳しい経緯は後ほど触れます。
数字で見る大成建設は、2026年3月期の連結売上高が2兆890億円あまり、連結営業利益が1,879億円で過去最高益を記録しました。
従業員は連結18,503名、単体でも9,518名(いずれも2026年3月末時点)、資本金は1,227億円あまりです。
大成の得意分野は、超高層ビルから原子力施設、海外の大型トンネルまで、建築と土木のバランス型です。こちらも詳しくは後ほど触れます。
現社長は相川善郎氏——建築畑一筋のたたき上げ
社長は2020年6月に就任した相川善郎(あいかわ よしろう)氏。1957年、長崎県生まれ。県立長崎西高校を経て、1980年に東京大学工学部建築学科を卒業し、同年大成建設へ入社しました。
キャリアは一貫して建築畑です。東京支店建築部長、執行役員九州支店長、常務執行役員建築営業本部長(第二)、取締役常務執行役員建築総本部長兼建築本部長などを歴任し、2020年6月に代表取締役社長へ昇格しました。
前任の村田誉之社長は、2020年度の業績予想が当時の中期経営計画最終年度の経営数値目標を下回る見通しとなったことを受け、「執行部門の長として辞任」すると表明。相川氏が2020年6月に社長へ就任し、村田氏は同日付で代表取締役副会長に就きました。
相川氏の就任後、大成建設は【TAISEI VISION 2030】のもとで経営改革を進め、中期経営計画(2024-2026)を策定。2025年にはTOBを通じて東洋建設を連結子会社化するなど、事業基盤の拡大を進めてきました。
なぜ大成は「非同族会社」になったのか——GHQ財閥解体と1949年の社員株主制度
大成建設の骨格を作った出来事は、戦後間もない1946年から1949年にかけての約3年に集約されます。社名変更・社員投票・社員株主制度の3ステップで、大成は大倉家の資本支配から独立していきました。
ステップ1:1946年の社名変更——「大倉」を外す
大倉土木が現在の「大成建設株式会社」に社名変更したのは、1946年(昭和21年)1月14日。戦後間もない時期です。
背景にあったのは、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による財閥解体の指令でした。
大倉土木は大倉財閥の中核会社だったため、「大倉財閥」の色を少しでも薄めようとして、大倉の名を外した新しい社名が選ばれたのです。
「大成」は、創業者・大倉喜八郎の戒名「大成院殿禮本超邁鶴翁大居士」から取られたもの。喜八郎への敬意を残しつつ、「大倉」という財閥名は外す——という妙案でした。
「衆の長所を集めて一大長所をつくる」という集大成の意味も込められています。
もう半分の「建設」は、当時としては耳新しい言葉でした。大成建設の公式社史によると、土木と建築の両分野を表す英語の「construction」の訳語として「建設」という言葉を採用しました。
社名に「建設」の二文字を取り入れたのは大成建設が最初で、その後、他社にも広がっていったとされています。
ステップ2:1947年——社員投票で役員を選出
社名変更に続いたのが、経営そのものの民主化です。
1947年、社員投票で役員候補者を選び、持株会社整理委員会の了解を経て、3月20日の臨時株主総会で藤田武雄社長ら新役員が正式に選任されました。
株主総会での選任という会社法上の手続を踏みながら、その候補者を全社員の投票で決めるという、当時としては異例の民主的な手順でした。
ステップ3:1949年——社員株主制度で非同族化を完了
そして1949年、社員株主制度が実現し、名実ともに非同族会社となりました。
GHQ財閥解体という外圧を背景に、大成が3年をかけて社員株主の会社へと生まれ変わった——これが「サラリーマン経営」と呼ばれる原点です。
150年の社名変遷史——大倉組商会から大成建設まで
大成建設の150年でユニークなのが、明治から昭和にかけてたびたび社名を掛け替えて事業を続けてきたことです。社名変遷そのものが150年の歴史を語っています。
| 年 | 社名・出来事 | 補足 |
|---|---|---|
| 1873年 | 大倉組商会 | 大倉喜八郎、資本金15万円で創立 |
| 1887年 | 有限責任日本土木会社 | 渋沢栄一・藤田伝三郎らと共同で設立 |
| 1892年 | 有限責任日本土木会社 解散 | — |
| 1893年 | 大倉土木組 | 喜八郎の単独経営で事業継承 |
| 1911年 | 株式会社大倉組(土木部) | 大倉土木組が合併され、土木部門に |
| 1917年 | 株式会社大倉土木組 | 土木部が分離独立 |
| 1920年 | 日本土木株式会社 | 改称 |
| 1924年 | 大倉土木株式会社 | 改称 |
| 1946年1月14日 | 大成建設株式会社 | GHQ財閥解体を受けて社名変更 |
| 1947年 | 社員投票 | 藤田武雄社長と役員を選出 |
| 1949年 | 社員株主制度 | 名実ともに非同族会社へ |
以下、この社名変遷を人と時代の物語で補足しておきます。
大倉喜八郎という始祖(1873年〜)
始まりは1873年(明治6年)10月。越後国新発田町(現在の新潟県新発田市)出身の大倉喜八郎(おおくら きはちろう)が、資本金15万円で「大倉組商会」を創立したのが、大成建設のスタートです。
喜八郎は18歳で江戸に出て乾物店を営み、幕末に鉄砲店「大倉屋銃砲店」に転じて、戊辰戦争では官軍の御用達を務めた人物です。
大倉組商会を興したときには機械の輸入貿易と建物の造営を並行して手がけ、日本企業として初のロンドン支店まで設けています。
明治初期を代表する「政商」の一人で、後に鹿鳴館(1881年着工)や帝国ホテル(1887年設立)にも関わりました。
建設事業が本格化するのは1887年(明治20年)3月。喜八郎は渋沢栄一・藤田伝三郎らと共同で有限責任日本土木会社を設立します。明治政府の官営工事を数多く手がけ、日本の近代建設業の草分けとなった会社です。
大倉財閥の中核として(1892〜1946)
日本土木会社は1892年(明治25年)11月に解散し、翌1893年、喜八郎が単独経営で大倉土木組として事業を継承しました。
1911年(明治44年)には大倉土木組が株式会社大倉組へ合併され、その土木部門として引き継がれます。
1917年(大正6年)にこの土木部が分離独立して株式会社大倉土木組が設立されました。
その後、1920年には日本土木株式会社、1924年には再び大倉土木株式会社へと、社名を掛け替えながら事業を続けていきました。
この間、大倉土木は明治から昭和初期にかけての重要建築を数多く手がけ、大倉財閥の中核会社として存在感を強めていきます。
喜八郎自身は1928年(昭和3年)4月に満90歳で亡くなりますが、大倉土木という会社は昭和の時代へと引き継がれていきました。
そして戦後、この大倉財閥の中核会社は「大成建設」に姿を変え、社員が株主となる非同族会社へと転換していきます。
高度成長期以降
社員が株主となった大成建設は、高度成長期以降、1958年の旧国立競技場を皮切りに、超高層ビル、海外の大型土木プロジェクトへと事業を広げていきます。ここからが「今の大成」を形作る話です。
大成の得意分野——建築と土木のバランス、海外にも強い
大成建設の特徴は、建築と土木のどちらか片方に偏らず、両方をバランスよく手がけていることです。
大倉土木時代の官営工事、1962年のホテルインドネシアなどによる戦後の海外建築進出、1988年のチラタ水力発電所(インドネシア)やルブゲ水力発電所(中国)などによる昭和後期の海外土木展開へと、時代ごとに事業領域を広げてきた歴史があります。
建築の分野では、1958年の旧国立競技場、1979年の新宿センタービル、そして2019年の新国立競技場と、時代ごとの象徴的な建物を手がけてきました。
新宿センタービルは大成建設の本社が入居するビルで、当時の新宿副都心の超高層ラッシュを代表する1棟です。
土木の分野では、ダム・トンネル・道路・原子力施設と守備範囲が広く、中でも特筆すべきは海外の巨大プロジェクトです。
代表例が、トルコのボスポラス海峡横断鉄道トンネル(マルマライ)です。イスタンブールでヨーロッパ側とアジア側を海底でつなぐ鉄道トンネルで、2004年8月に着工、2013年10月に地下鉄部分が開業しました。
海底部分約1.4キロメートルを、沈埋工法で施工しています。専用の製作ヤードで大型の鉄筋コンクリート函体(かんたい)を作り、海上に浮かべて曳航してから、海底に沈設して函体同士を接合していく工法です。
地震国トルコの海峡という難条件の中で、日本のODA円借款事業として大成が沈埋・シールド・NATMなど各種トンネル技術を発揮した仕事でした。
現代の大成は、建築・土木の両輪に加えて、原子力関連や海外インフラといった、簡単には他社が真似できない領域で存在感を出しています。
代表建築物——国立競技場を2度建てた会社
大成が手がけた代表的な建築物・土木構造物を、時代順に4件紹介します。同じ会社が、東京五輪の主会場を2度建てた——旧国立競技場(1958年)と新国立競技場(2019年)を、いずれも大成が施工したという事実は、日本の建設史のなかでも際立った話です。
| 建築物 | 竣工年 | 発注者 | 施工体制 | 一言解説 |
|---|---|---|---|---|
| 旧国立競技場(国立霞ヶ丘陸上競技場) | 1958年3月 | 建設省建設局 | 大成建設 | 1964年東京五輪の主会場、2014年閉場・2015年解体完了 |
| 新宿センタービル | 1979年10月 | 東京建物・大成建設・朝日生命保険 | 大成建設(設計・施工) | 地上54階・地下4階・塔屋3階、大成建設の本社が入居、新宿副都心の超高層黎明期を代表 |
| ボスポラス海峡横断鉄道トンネル(マルマライ) | 2014年10月 | トルコ政府運輸海事通信省インフラ投資総局 | 大成建設・GAMA・ヌロール の3社JV | 総延長13.6km・沈埋部分約1.4km、日本のODA円借款事業(2013年10月に地下鉄部分開業) |
| 新国立競技場 | 2019年 | 独立行政法人 日本スポーツ振興センター(JSC) | 契約は大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所JV/設計=3社、施工=大成建設(公募型プロポーザル方式・設計交渉・施工タイプ) | 東京2020大会(2021年開催)主会場、設計コンセプト「杜のスタジアム」、2026年からの命名権呼称「MUFGスタジアム」(正式名称は国立競技場) |
旧国立競技場(1958年)
1958年3月に竣工した国立霞ヶ丘陸上競技場、通称「旧国立競技場」です。発注・設計とも建設省建設局で、施工は大成建設が担当しました(施設所管は当時の文部省)。1964年の東京オリンピックのメインスタジアムとして日本のスポーツ史に名を刻んだ会場です。2014年5月にサヨナラセレモニーを最後に閉場し、翌2015年に解体が完了しました。跡地に建ったのが、後述の新国立競技場です。
新宿センタービル(1979年)
1979年10月31日に竣工した地上54階・地下4階(塔屋3階)の超高層ビルで、大成建設の本社が入居しています。発注者は東京建物・大成建設・朝日生命保険の3社共同で、新宿副都心の超高層ラッシュを代表する1棟です。大成はここに本社を構えて、現在まで40年以上が経ちました。
ボスポラス海峡横断鉄道トンネル(2014年)
トルコ・イスタンブールでボスポラス海峡を横断する海底鉄道トンネルです。
2004年8月に着工し、トルコ共和国建国90周年に当たる2013年10月29日に地下鉄部分の開通式典を迎え、大成建設JVが担当したトンネル工事(総延長13.6km)は2014年10月に竣工しました。開通式典には日本の安倍晋三首相(当時)も出席しています。
施工は大成建設と地元トルコのガマ重工業(GAMA)・ヌロール社の3社JV。海底の沈埋トンネル部分では、複雑で速い潮流のボスポラス海峡で世界最大水深部(海面下60メートル)での沈設を実現しました。陸上トンネル部分ではシールド工法とNATM工法(山岳トンネルの標準工法)を併用しています。
JICAによる円借款供与を受けた、日本の海外インフラ協力の象徴的プロジェクトの1つです。
新国立競技場(2019年)
2019年11月末に竣工した現在の国立競技場(2026年からの命名権呼称は「MUFGスタジアム」、正式名称は引き続き国立競技場)。東京2020オリンピック・パラリンピック(2021年開催)の主会場となった、日本人なら誰もが知る建物です。
新国立競技場の施工体制は、業界人としては正確に押さえておきたいポイントです。
施主は独立行政法人 日本スポーツ振興センター(JSC)。JSCとの契約主体は大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所の共同企業体(JV)で、大成建設が代表企業を務めました。役割分担としては設計は3社が担当、施工は大成建設——というのがJSCの技術者名簿で確認できる区分です。
発注方式はJSCの「公募型プロポーザル方式(設計交渉・施工タイプ)」です。優先交渉権者と第Ⅰ期で設計・技術検討と価格交渉を行い、第Ⅱ期で工事施工の契約を別個に結ぶ二段階構造で、設計と施工を一括契約する「設計・施工一括タイプ」とは区別されています。前任のザハ・ハディド案が白紙撤回された後の、異例のスピード発注でした。
公募条件の基本工期は2020年4月末でしたが、採用された提案は5か月短い2019年11月末を工期として掲げていました。大成建設は2016年12月の本体着工から契約通り2019年11月末に完成させました。
屋根全体をユニット化して並行施工したり、タワークレーンの支柱を大型の仮設支保工として再利用する「T-CAPS」(大成の特許技術)を使ったり、スタンド基礎の7割をプレキャストコンクリート(工場で作った既製部材)にしたりと、大成の得意技を総動員した仕事でした。
旧国立から数えて61年、大成建設が同じ場所に2度目の国立競技場を建てた——というのも業界人の雑談ネタになる話です。
まとめ——業界人として知っておきたい大成建設の話
150年の物語をこの1本にまとめると、押さえておきたいのは以下の3点です。
その1.1949年に非同族会社となった経営スタイル
大成の最大の特徴は、1946年の社名変更と1949年の社員株主制度で、戦後まもなく大倉家の資本支配から独立し非同族会社となった経営スタイルです。
5社の中で社名に創業家の姓を残していない唯一の会社という点も、この経緯から来ています。
その2.たびたび社名を掛け替えてきた老舗
大倉組商会(1873年)に始まり、有限責任日本土木会社、大倉土木組、株式会社大倉組(土木部)、株式会社大倉土木組、日本土木株式会社、大倉土木株式会社と、たびたび社名を掛け替えながら、1946年に現在の大成建設に改称しました。
1946年の「大成建設」誕生は、GHQの財閥解体がきっかけです。
社名の「大成」は創業者・大倉喜八郎の戒名から、「建設」は土木と建築の両分野を表す英語の「construction」の訳語として採用されました。社名に「建設」の文字を使ったのは大成建設が最初とされ、その後、他社にも広がっていったといいます。
その3.国立競技場を2度建てた会社
1958年の旧国立競技場と2019年の新国立競技場、東京オリンピックの主会場を2度とも大成が施工したという事実は、案外知られていません。
旧国立は大成建設が施工、新国立は契約主体こそ大成建設・梓設計・隈研吾建築都市設計事務所の3社JVですが、施工そのものは大成建設が担当しました。
いずれも大成の代表作です。
この3つを覚えておけば、大成の話は業界の会合で困ることはないはずです。

