1914年、大林組は東京駅丸の内本屋と生駒隧道3,388mを、同じ年に完工しました。
建築の名作と土木の名作を同年に生む会社は、業界の中でも稀です。
この記事では、大林組の134年を、大阪の若き請負業者から始まった「二刀流」の系譜と、単独元請けで建て上げた東京スカイツリーまで整理しました。
大林組とは——スーパーゼネコン5社中最も新しい大阪発祥の会社
大林組は、いわゆる「スーパーゼネコン」5社の一角です。5社とは、鹿島建設・大成建設・清水建設・大林組・竹中工務店を指します。
この中で大林組は、1892年(明治25年)に大阪で創業した134年の歴史を持つ会社で、5社の中では最も新しい創業にあたります(他4社はすべて江戸〜明治初期の創業)。
得意分野は超高層ビル・大規模土木・免震制震・海外事業。連結売上高は2兆5,862億円(2026年3月期)、連結従業員数は18,031人、世界17か国・地域に拠点、グループ会社は156社を数えます。
現社長は代表取締役社長 兼 CEO(最高経営責任者)の佐藤俊美(さとう としみ)氏。2025年4月1日、前社長・蓮輪賢治氏の後任として就任した、創業家以外・約7年ぶりの新社長です。
北米事業や財務・経営企画などの管理部門を歩んだ、大林組では珍しい事務系出身のトップ。
本店は現在、東京都港区港南。大阪発祥の会社らしく大阪本店も別途置いており、公式サイトでは「本社」「東京本店」「大阪本店」の3拠点が並記されています(本社と東京本店は同一住所)。
1914年——大林組が「二刀流」を確立した年
大林組を語るときに外せないのが、創業から22年目、大正3年の1914年です。
この一年に大林組は、建築の代表作と土木の代表作を同時に世に出しました。
一つ目が、東京駅丸の内本屋(辰野金吾設計)。赤レンガの重厚な駅舎は今も残る名建築です。
二つ目が、生駒隧道(ずいどう)。奈良と大阪を結ぶ複線トンネルで、全長3,388m——当時、複線トンネルとしては日本最長でした。
都心の顔になる建築と、関西を結ぶ地下の土木。まったく別分野の代表作を同じ年に世に出したこの事実を、本記事では「建築と土木の二刀流」と呼ぶことにします。
この二刀流の系譜は、その後もぶれずに続きます。
| 年 | 建築の代表作 | 土木の代表作 |
|---|---|---|
| 1914 | 東京駅丸の内本屋 | 生駒隧道(3,388m) |
| 1924 | 阪神甲子園球場 | — |
| 1970 | 大阪万博 主要パビリオン | — |
| 1988 | — | 青函トンネル 開通(大林組・清水建設JVで三岳工区を担当) |
| 2012 | 東京スカイツリー(634m・単独元請け) | — |
この二刀流を土台で支えているのが、1935年刊行の現場従業員指針で明文化された経営理念「三箴(さんしん)」です。
「良く、廉(やす)く、速い」——品質、価格、速度の順で並ぶ3つの箴(いましめ)で、90年経った今も大林組の基本理念の土台に据え置かれています。
134年の物語——大阪の若き請負業者から始まったゼネコン
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1892年 | 大阪で大林芳五郎が「大林店」を創業 |
| 1904年 | 「大林組」に改称 |
| 1914年 | 東京駅丸の内本屋・生駒隧道を同年に完工 |
| 1916年 | 創業者・大林芳五郎が死去、大林義雄が二代社長に |
| 1918年 | 株式会社大林組を創立、義雄が同社社長に就任 |
| 1919年 | 合資会社大林組を新設の株式会社大林組が吸収合併 |
| 1923年 | 関東大震災。手がけた東京駅などに損傷なく、復旧工事を多数受注 |
| 1936年 | 株式会社第二大林組を設立(翌1937年3月に旧法人を吸収合併し「株式会社大林組」に商号変更) |
| 2010年 | 登記上の本店を大阪から東京へ移転、大阪本店に改称 |
創業と草創期(1892〜1904)
始まりは1892年(明治25年)1月25日。大阪で当時27歳の大林芳五郎が「大林店」の屋号を掲げたのが大林組のスタートです。
芳五郎は1864年に大阪で生まれ、11歳で呉服店の見習いに入り、18歳のとき独立するもわずか半年で挫折。
その後、砂崎庄次郎という土木建築請負業者のもとで修業を積み、皇居造営の仕事にも従事しました。
創業のきっかけは阿部製紙所の工場新設工事の落札。1892年1月18日に工事を取り、25日を創業の日と定めて「大林店」を開業。
まさに一件の受注が会社を生んだ形です。1904年(明治37年)2月、店名を正式に「大林組」へ改称しました。
東京進出と法人化(1905〜1923)
1909年、合資会社大林組を設立。建設業界の中でも早い時期の法人化にあたります。
そして1914年、前章のとおり東京駅と生駒隧道の同年完工で全国区に。関西発祥の会社が東京駅を任され、同時に関西の大動脈を掘り抜いた——この一年が大林組を全国区に押し上げました。
1916年1月24日、創業者・大林芳五郎が満51歳(大林組公式表記では享年53)で死去。子息の大林義雄が社務を継承し、二代社長となりました。
1918年12月、経営規模の拡大と近代化のために「株式会社大林組」を設立し、義雄がその社長に就任。翌1919年3月、既存の合資会社大林組を新設の株式会社大林組が吸収合併し、事業を新会社に一本化しました。
1923年9月1日、関東大震災。大林組が手がけた東京駅などに損傷はなく、この実績で丸ノ内ビルヂング等の復旧・復興工事を多数受注。
関西の会社が東京で地位を固める大きな転機となりました。
戦後の飛躍と現代へ(1936〜現在)
1936年12月、株式会社第二大林組を設立。翌1937年3月に第二大林組が旧・株式会社大林組を吸収合併し、商号を「株式会社大林組」に変更しました。
会社概要の「設立日」は、この第二大林組の設立日を引き継いでいます。
戦後は復興と高度成長期の飛躍。1970年の大阪万博では主要パビリオンを担当し、地元・大阪のビッグイベントを支えました。
1988年3月13日、青函トンネル開通(大林組は清水建設とのJVで三岳工区を担当)。1991年、創業100年。
2010年には登記上の本店を大阪から東京へ移転し、現在の「本社・東京本店・大阪本店」体制になりました。2012年、東京スカイツリー竣工(詳しくは次章)。
2025年4月1日、佐藤俊美氏が代表取締役社長 兼 CEOに就任し、現在に至ります。
東京スカイツリーはどう建てられたのか——施主・設計・施工の分担と、現場を支えた協力会社
スカイツリーの話は業界内でもよく話題に上がりますが、意外と発注構造まで正確に語れる人は少ないものです。
発注構造
- 事業主体:東武タワースカイツリー株式会社(東武鉄道の完全子会社)
- 建築主:東武鉄道株式会社、東武タワースカイツリー株式会社(2社体制)
- 発注(大林組との契約窓口):東武タワースカイツリー株式会社
- 設計:日建設計
- 施工:大林組(単独元請け、JVではない)
スカイツリーは、東武鉄道の完全子会社である東武タワースカイツリーが事業主体として大林組に発注しました。建築主は東武鉄道と東武タワースカイツリーの2社体制です。
大林組は複数社のJVではなく、単独で元請けを務めた——634mの自立式電波塔を単独元請けで建てる判断ができる会社は、日本にそう多くありません。
工期と規模
- 着工:2008年7月14日/竣工:2012年2月29日(工期約3年半)
- 高さ:634m(自立式電波塔として世界一)
- 足元:一辺約68mの正三角形、3脚が地上50mで一つにつながる構造
- 心柱:直径8m・高さ375mの鉄筋コンクリート造円筒(内部は非常階段)
- 塔体:高強度鋼管を用いたトラス構造(外周部)
三本足構造は建設地の面積が狭かったためです(東京タワーは4本足)。
主要工法
代表的なのが、基礎のナックル・ウォール工法、心柱の連続施工に使われたスリップフォーム工法、そしてハイブリッド地下工法やリフトアップ工法。
ナックル・ウォール工法は、設計形状に合わせて地盤を掘削し、コンクリートを流し込んで壁状の場所打ち杭を築造する工法で、ナックル状(節)の突起が引き抜き力にも押し込み力にも抵抗する仕組み。
高さのわりに足元の幅が小さく、地震や風で3本の脚に大きな力がかかるスカイツリーには不可欠な工法でした。
現場を支えた協力会社
大林組が単独元請けとはいえ、現場は多数の協力会社に支えられています。
鉄骨製作・エンジニアリング幹事会社は巴コーポレーション・駒井ハルテック・川田工業・新日鉄住金エンジニアリングの4社。そのうち巴コーポレーションは約9,000tを担当し、ゲイン塔・天望回廊・天望デッキ・外塔部(主にW1工区)・地下基礎部の5区分の製作に携わっています。
特に業界人の心に響くのが、塔体に使われた極厚の高強度鋼管の話です。標準的な鉄骨より約2倍強い鉄を、大きな径・厚みで加工する仕事は、中小の鋼管メーカーのプレス職人が工場の大型成形プレスを極限まで使い込んで製作した——というエピソードが2024年4月放送のNHK「新プロジェクトX」(新シリーズ第1回)で紹介されました。
元請け大林組の下で、下請け・協力会社の技術が結集して634mができた——2〜3次下請けの立場で日々仕事をしている読者にとって、これほど身につまされる話はないはずです。
代表建築物ダイジェスト
| 建築物 | 竣工年 | 施主 | 施工体制 | 一言解説 |
|---|---|---|---|---|
| 東京駅丸の内本屋 | 1914年 | 鉄道院 | 大林組 | 辰野金吾設計・赤レンガ駅舎。関東大震災でほぼ無傷、大林組の東京での地位を確立 |
| 阪神甲子園球場 | 1924年 | 阪神電気鉄道 | 大林組 | 日本初の本格的野球場(大林組公式表現)。3月11日起工〜8月1日竣工、4か月半で完成 |
| 青函トンネル(三岳工区) | 1988年開通(全体) | 日本鉄道建設公団 | 大林組・清水建設JVで三岳工区 | 全長53.85km。開通から2016年まで世界最長の鉄道トンネル(2016年、スイスのゴッタルドベーストンネル約57kmが更新) |
| 東京スカイツリー | 2012年 | 東武タワースカイツリー(事業主体・建築主は東武鉄道と2社体制) | 大林組(単独元請け) | 高さ634m・自立式電波塔として世界一。詳細は前章 |
まとめ——業界人として知っておきたい大林組の話
134年の物語をこの1本にまとめると、押さえておきたいのは以下の3点です。
その1.大阪発祥・スーパーゼネコン5社中最も新しい会社
大林組の起点は1892年。大阪の若き請負業者・大林芳五郎、当時27歳が始めた会社です。
5社(竹中1610・清水1804・鹿島1840・大成1873・大林1892)の中では最も新しい創業。若い会社ながら5社の一角にまで駆け上がった実力派です。
その2.1914年に「建築と土木の二刀流」を確立
創業から22年目のこの一年に、辰野金吾設計の東京駅丸の内本屋と、当時複線では日本最長の生駒隧道3,388mを同じ年に完工しました。
建築の代表作と土木の代表作を同時に生む会社はそう多くありません。この1914年が、大林組の「二刀流」のルーツです。
その3.634mの東京スカイツリーは大林組の単独元請け
東京スカイツリーは、事業主体が東武タワースカイツリー(建築主は東武鉄道と2社体制)、設計が日建設計、施工が大林組。大林組はJVではなく単独で元請けを務めました。
塔体の高強度鋼管を極限まで加工した中小企業の職人技を含め、多くの協力会社の力でスカイツリーが立っている——業界人として知っておきたい話です。

